芸能人の兄弟姉妹って、すごく気になりますよね!
やっぱりすごいのって!?
さて、今回は天才と称される、あの人、上野樹里さんの姉妹について!
現在、どんな形で活躍されているのでしょうか!?
ごゆっくりどうぞ~
[sc name=”uenojuri”]
上野樹里の美人姉妹は乃木坂46と欅坂46にいるってホントなの!?
結論から言うと、いません!!
ただし、以下の情報がありました。
・乃木坂46の西野七瀬に似てる?
乃木坂46の松村沙友理に似ている?
欅坂46の尾関梨香に似てる?
- 尾関って生田というより上野樹里に似てるな
- 声質似てるよな
似てるかどうかはともかくとして、実際の上野樹里さんの姉妹について見ていきましょう!
上野樹里の長女はDJ SAORI(上野早織)自衛隊に入隊していた!?写真画像あり!
まずは長女から!!
DJ SAORI(ディージェイ・サオリ、上野 早織(うえの さおり)、1980年10月26日 – )は日本のDJ、トラックメーカー、音楽プロデューサー。
幼少時代よりピアノをはじめ、合唱コンクールなどで演奏を果たすことがきっかけで本格的に音楽と出会う。
6歳から小6までピアノを習っていた上野樹里。
その姉・DJ SAORIもやはり幼少期からピアノをやっていたそう。
その経験が上野樹里ののだめ役やDJ SAORIのDJ活動に活かされているのでしょうね。
中学時には、地元のラジオ局DJに憧れ、音楽の幅が洋楽へと移行していくこととなる。
その後2000年頃からレコードを収集し始め、我流でDJを始める。
20歳の頃にターンテーブルを購入し本格的にDJを始める。
そして、2003年3月地元兵庫県神戸市「QUEEN」にてDJデビュー。
以後6年にわたり、地元兵庫県を拠点にDJ 活動をおこなう。
2009年上京、渋谷、六本木の主要Clubを拠点に活動を始め、2012年6 月には『踊る! さんま御殿!!』にDJ界では初のTV出演を果たす。
以後GUEST出演中心に芸能方面でも活動している。
陸上自衛隊の高射特科部隊に4年間も勤務したという異例の経歴を持っています。
陸上自衛隊の高射特科部隊とは?
高射特科部隊は、対空戦闘部隊として侵攻する航空機を要撃するとともに、広範囲にわたり迅速かつ組織的な対空情報活動を行います。
ものすごい根性がありそうですね!
30代後半になるDJ SAORIは現在未婚とのこと。
それは過去に3回も結婚話が流れてしまったためだとか。
DJ SAORIは家事が苦手で部屋が汚いからと言われていました。
芸能一家と言われる所以ですね。
僕はあまり詳しくないですが、DJとしてかなり有名な方みたいです。
何かに秀でるためには、1点突破が必要ですよね。
そういう根性とか精神力を、陸上自衛隊で養ったのかもしれませんね。
上野樹里の次女はシンガーソングライター上野まな
続いて、こちらも強烈な個性を持っている次女!!
- 生年月日:1983年1月18日
- 年齢:34歳
- 出身地:兵庫県加古川市
姉・上野まなはシンガーソングライターとして2012年から芸能界活動をスタート。
こちらの姉は顔も性格も妹・上野樹里に似ていると話題になりました。
シンガーソングライター兼タレント兼ラジオパーソナリティー兼音楽プロデューサー
上野まなさんは音楽ユニット「Candy Tree」(キャンディトゥリー)に所属もしておりボーカリストとして活動されています。
上野樹里の姉でシンガーソングライターの上野まなは、J-POP・ボサノヴァを主に演奏、作詞や作曲も手がける音楽プロデューサーとしての一面もあるそうです。
上野樹里・DJ SAORI同様にピアノ演奏も出来、さらにウクレレも演奏できるそう。
22日に放送された『タカアンドトシの道路バラエティ!?バスドラ』(テレビ朝日系)に、女優の上野樹里(29)の姉でシンガーソングライターの上野まな(32)が出演した。
同番組で彼女は「3年前に事務所入って、妹の名前を使ってのタレント活動で…」「妹が有名じゃなければ私なんて絶対テレビに出られない」と、妹・樹里の存在を強烈に意識していることを明かした。
『上野まな』ってインターネットで入れたら“ブス”って出てくるんですよ」と、美人の妹と比較されること。
「妹は美人だし、かわいいし、親の顔のパーツ良いとこ全(上野樹里に)部持っていった」
「でも私はダメなパーツ、鼻低いとか…」
と、妹との差が辛く、傷ついているという。
また、親戚からの「妹はあんなに上手く行って成功してるのに、お姉ちゃんたちは…」とのプレッシャーを感じているそう。
「妹が里帰りするときと、私が里帰りするとき、絶対違います」「(里帰りすれば)手料理作ってくれますけど、気持ちが違う」と接し方も違うという。
そんな彼女に視聴者からは
- 「お姉さんはお姉さんでかわいいんだから、妹と比べない方がいいよ」
との擁護もあった。
一方では
- 「比べられたくなければ、妹とは違う道に進めばよかっただけ」
- 「これ以上樹里ちゃんの恥になるような事はしない方がいい」
とバッシングも多い。
まなは、2006年からシンガーソングライターとして活動を始め、2011年にアルバム『Fairies』でメジャーデビュー。
その後、2012年にはタレント活動も開始し、『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)や『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)などのバラエティー番組に出演した。
↓よろしければ、上野まなさんの歌声をお聞きください!
「2006年に秋葉原で路上デビューして以降、小さなライブハウスなどで地道に音楽活動を続けています。
休日には遊園地でファンイベントなども行っている。
歌唱力にはもともと定評があった上、ファンを大切にするので、今も活動を続けていられるのだと思います」
話題作りのためでしょうか。
妹の上野樹里さんの愚痴ばかり言うせいで、フルボッコくらってますね(笑)
音楽だけで食べていくのって、すごく大変だと思います。
地道な活動はきっとファンの方も知っているはずですので、実を結ぶと思います。
上野まなはグラビアデビューで脱いでいた!?
上野樹里さんとの格差に悩む姉妹たち…
売れ行きはオリコンにも出ない程なので…。
「(妹の家は自分が住んでいるワンルームの)広さも5倍、値段も5倍」と、金銭面の格差まで暴露するのだった。
シンガーソングライターとして活動してきた姉・上野まな。
上野まなは29歳のときに、東京・秋葉原で自身のグラビアデビューとなるDVD「Discovery」の宣伝を行いました。
その背景には上野まなの所属事務所がグラビアを得意とする為だそうですが…。
自身としては、それまで音楽一本でやってきたものの、「仕事のチャンスだし、この年でチャレンジできるならやってみよう!」と前向きな気持ちでいた。
突然のグラビアデビューにファンを驚かせました。
妹のファンから
- 「上野樹里の顔に泥を塗るようなことして!」
- 「なに勝手なことしてんの?」
などとすごい叩かれたそうだ。
ただ、この仕事については「妹も良くは思ってない…」と、上野樹里やDJ SAORIら家族の反応は「何もない」とつれない感じだったとか!?
ものすごい腹筋が披露されていました(笑)
髪型も上野樹里さんを意識されたのかな?
葡萄を頑張ってエロくする設定だったのが、全然できなかったそう。
確かにエロさは感じなかったです…(笑)
でも、勇気入りますよね!
人って行き詰るととんでもないことをヤラかすものです。
まあ、事務所の指示だったんでしょうけれど…
親の七光りじゃないですが、常に妹と比べられるのって辛いですよね。
ちょっとムキになっている部分もあったのかもしれません。。。
上野樹里と姉妹の共演は?仲が悪いってホントなの!?理由は何なの?
踊る!さんま御殿!!に出演の姉二人。
今まで上野樹里との共演はないみたいですね~
◆共演・顔写真使用NG
代表作を着実に築き上げ、女優としては順風満帆の上野が抱える不安とは、今年1月に大手芸能プロと契約した姉、上野まなの存在だという。
「といっても姉妹の仲はとてもよく、不仲説が度々報じられる倖田來未/misono姉妹などとは話が違います。不穏な空気を漂わせているのは当人たちではなく、所属事務所同士なんです。
まなはバラエティに出演する際、樹里とは共演どころか、顔写真を使用することさえNGになっています」
大人(周り)が上野樹里と姉たちの確執?不仲説?を作り上げているのかもしれませんね。
姉、というよりも上野まなさんがテレビ等で妹・上野樹里さんとの格差についてネガティブ発言があるものの、テレビ的に面白くしようとする意図であり、実はちゃんと仲が良いんだとか。
小さい時から苦労している家族なので、仲良くあってほしいですよ!
上野樹里・上野まな・DJ SAORIら三姉妹は兵庫県出身。
DJ SAORIのツイッターでは飾らない関西弁で近況がつづられています。
上野樹里も姉・上野まなも普段は関西弁なのでしょう。
三姉妹の会話が聞いてみたいです。
広瀬すず、アリス姉妹とか…
仲良しでデビューしましたけど、実際のところどうなんでしょうか。
ただ、デビュー前は仲良かったけれど、片方が売れることでマスコミなどのせいで、不仲になるってことはあると思います。
芸能人は辛いよって話。
[sc name=”hirosesuzu”]
上野樹里の生い立ちと父親、母親について。
実は上野樹里さんは壮絶な過去を持っています。
上野の故郷は、兵庫県加古川市にある。
小学生の時に、父が精密機械の工場の経営に失敗、家屋敷を手放すことになり、貧しい生活を送るようになってしまいます。
TBS『情熱大陸』のロケで加古川を訪問した際に、その時のことを思い出して、『帰る場所を失った』とつぶやいています。
芸能生活をずっと応援し続けてくれた母親は、彼女の初CM出演が決まる直前の中学2年の時、樹里が上京する直前に、母は原因不明の病で急死。
45歳の若さだった。
最後まで懸命に看病をしていた彼女は、母親が息を引き取る瞬間を、その目の前で見ています。
「お母さんが病気だというのは聞いていましたが、それからほどなくして亡くなってしまいました。
お通夜の日はとても寒かったことを覚えています。
通夜の席では末っ子の樹里ちゃんをはじめ、3姉妹が気丈に振る舞っていたのが切なかったです……」
(地元住民)
09年放送の『NEWS ZERO』(日本テレビ系)のインタビュー。
上野は《事務所の社長さんと神戸で会って話をしたとき、お母さんは病気だったから意識も朦朧としていて。ギリギリの状態でした。でも、お母さんは涙ぐんで笑っていたんです》と語っている。
重い病状を押して上野に付き添った母は、娘の芸能界入りを見届けて涙を流したのだろう。
かつて豪邸があった場所から徒歩数分の場所で、現在も上野の父方の祖母が暮らしている。
彼女は、上野の母親が亡くなったときのことをこう振り返ってくれた。
「樹里は、まだ中学2年生でした。
母親が亡くなった後、義務教育だけはと思って私が中学卒業まで面倒を見ることにしたんです。
お母さんがいなくなってから、樹里は『自分の生活する分は、自分で仕事して稼がなあかん。
自分の力で暮らせるようになるんや』と言っていました。
そして中学を卒業すると、1人で東京へ行ったんです」
そんな彼女の心にはいつも、母が残した“ある言葉”があった。
前出のインタビューで、彼女は女優を目指すきっかけを《お母さんがまだ生きているとき、『あんたもこんなふうに、テレビに出られたらいいのになぁ』とぼんやり言っていたんです》と明かしている。
「亡くなったお母さんは樹里ちゃんの活躍をすごく応援していたんですよ。特に女優さんになるってことで、とても喜んでいたみたい。」
「亡くなる直前にドラマの話が決まったとかで、楽しみにしていたんだけど、結局、間に合わなかった・・・」
と樹里が親しくしていた同級生の母が語っています。
はからずも“遺言”となった母の言葉を叶えたいと、上野は必死に女優の道を進んできたのだ。
彼女は『1人で何とかしなければならない状況に追い込まれたからこそ、私はここまで頑張れた。
だから恵まれない環境というのは、実は才能を産んでくれる恵まれた環境なのかも』と語っていました。
母の死という逆境が、彼女を強くしたようですね
上野樹里は性格が悪い、姉とも仲が悪い、ともよく噂されていますが、亡き母のために女優業で生き残るため、必死なのではないでしょうか。
姉たちとも、決して仲が悪いわけではなく、自分だけで食べていく故、疎遠になっているのではないでしょうか?
人は幸せになるために生きています。
でも、原動力はそれだけじゃなくて、叶えられなかった夢を叶えるためだったり、誰かの夢を叶えるためだったり。
それは、なんとも痛々しく、悲壮感に満ちて、鬼気迫るものがあります。
それもまた強さ。
芸能界という混沌とした荒波の中を生きていくには、人並外れた精神力と才能が必要です。
上野樹里さんは、亡くなった母の願いのために、ひたすらに頑張っているのかもしれませんね。
そんな辛い過去をもつ彼女ですが、ついに運命の人と出会いました。
氷のように閉ざされた心をその人は溶かしてくれるでしょう。
どうか、お幸せに!!