和田唱の父親がトライセラトップスの生みの親!?母親の平野レミと徹子の部屋で対談した!?

この記事は約12分で読めます。

2016年5月26日に結婚を発表した、女優・上野樹里さんとTRICERATOPS(トライセラトップス)の和田唱さん。

和田唱さんの母親は料理家の平野レミさん、父親はデザイナーの和田誠さんというのは有名な話ですね。

実は、結婚が発表されてから「平野レミの家系が凄い…」と、和田唱さんの両親の家系も話題となっていたようですよ!

[sc name=”wadasho”]

 

 

スポンサーリンク

トライセラトップス和田唱さんの両親がスゴイらしい

和田唱さんと上野樹里さんが結婚したことで、和田さんの家系がスゴイと話題です。

 

和田唱と上野樹里結婚てことで簡単に家系図書き出してみたんだけど色々ヤバイ

ナポレオンの最初の妻であるジョセフィーヌの血筋というのもスゴイですが、料理家としても活躍する平野レミさんの旦那さんが和田誠さんということを初めて知ったという方も多かったようです。

 

今回は、父の和田誠さんと母の平野レミさんについてまとめました!

[sc name=”uenojuri”]

 

和田唱の父親は和田誠

和田唱さんの父親はイラストレータの和田誠さんです。

 

  • 名前:和田 誠(本名同じ)
  • 生年月日:1936年4月10日(81歳)
  • 出身地:大阪府大阪市
  • 職業:イラストレーター、エッセイスト、映画監督
  • ジャンル:映画
  • 活動期間:1968年~
  • 家族:妻・平野レミ、長男・和田唱、次男・和田率
  • 出身校:世田谷区立代沢小学校
  • 東京都立千歳高等学校(現・東京都立芦花高等学校)
  • 多摩美術大学図案(現・デザイン)科
  • 経歴:1959年デザイン会社「ライトパブリシティ」に入社
    1968年からフリー

実父は築地小劇場の創立者メンバーの1人で、後にラジオドラマを多数演出し「ラジオの神様」と呼ばれた和田精さんです。

 

下書きに使用するのは2Bの鉛筆です。

また、自分で色を塗らずに色を指定する場合は、ロットリングで線を描き、色見本を見ながら、上に重ねたトレーシングペーパーに色指定を書き込んでいます。

和田誠さんといえば、イラストレーターとして有名ですね。

学生の時に、俳優にイラストを添えたファンレターを出したところ、褒められたことがきっかけで職業にしようと決めたそうです。

 

シンプルなのに印象に残るイラストはですが、基本的には手書きなんだそうですよ。

 

和田誠の代表作の一部をご紹介!

戦後の日本で「イラストレーター」という職業を広く知らしめた人物です。

 

  • たばこ「ハイライト」のパッケージデザイン(1960年)
  • 昔フジテレビ系で放送されていた「ゴールデン洋画劇場」のオープニングタイトル

などがあります。

多摩美術大学を卒業した後、広告の制作会社にデザイナーとして就職。

紙巻きタバコの「ハイライト」や政党のロゴ、そのほか大手企業の広告を多数担当しました。

 

このゴールデン洋画劇場のOPと並んでテレビ朝日の「土曜ワイド劇場」のOPも怖かったと薄っすら記憶があります。

何で昔のオープニング画像って、トラウマレベルで怖いんでしょうかね?(笑)

 

1977年から週刊文春の表紙を担当。

2017年7月には、表紙イラスト2000回目を迎えたそうです。

長年にわたり週刊誌「週刊文春」の表紙(絵とデザイン)を担当していて、現在もその仕事は続いています

温かみのある色合いで、ユーモラスでありながら、時にはどこかに風刺を感じることもあるイラストは唯一無二。

読者を一目でつかむ力が、和田誠さんのイラストにはあるようです。

 

イラストレーターとして表紙や挿絵を担当した書籍は数多くあります。

SF作家の星新一や、人気脚本家の三谷幸喜の著作の表紙イラストはよく知られているところでしょう。

また、ユーモラスなイラストとともに言葉遊びが楽しめる絵本「ことばのこばこ」は、多くの子供たちに読まれました。

もちろん、他にも多くの作品を世に送り出しています!

 

映画好きなことでも有名な和田誠さん。

「麻雀放浪記」(1984年)「怪盗ルヴィ」(1988年)といった作品の監督をしています。

また、「快盗ルビイ」では脚本と主題歌「快盗ルビイ」の作詞もされています。

作曲が大瀧詠一さんですね!

本業のイラストレーターの他に、監督もするとは!

この頃はバブル時代(お金がある)ということもあって、本業の方以外にも映画監督をするタレントや俳優、ミュージシャンが沢山いました。

 

その中で成功した数少ない一人が、1989年「その男、凶暴につき」を手掛けた北野武(ビートたけし)さんですね。

 

和田誠さんが映画監督して手がけた中では「怪盗ルビイ」だけ知っています。

今でも評判が高い映画なので、ある程度成功したのではないでしょうか?

 

1週間で出会って結婚!?平野レミとの馴れ初めとは?

和田誠さんは奥様である平野レミさんと結婚して40年以上経ちます。

 

和田誠さんと平野レミさんの出会いのきっかけは、和田誠さんが久米さんとやっていたラジオで、レミさんの声を聞き一目ぼれしたからだそうです。

和田誠さんと久米宏さんは知り合いだったそうです。

久米さんにレミさんの紹介を頼んだら、「やめときなさい」と言われ紹介さえしてもらえなかったそうです。

 

そのため、知り合いのTBSディレクターに頼んだら「紹介してもいいけど責任持ちませんよ」と言われ「責任持たなくてもいいから」と紹介してもらったそうです。

それでも食い下がった和田誠さんは、なんとか食事の席にこぎつけます。

 

2人はその席で互いを気に入り、なんと出会って1週間程で結婚!

ちなみに、平野レミは、父がフランス文学者であったことから、もともとインテリが好みのタイプだったとか。

会話ににじむ和田誠さんの知性に「なんて学のある人だろう」と思ったそうです。

一方、和田誠さんは給仕の仲居さんに料理について尋ねるレミさんの様子から、「この人は料理が上手そうだ」と思ったのだそう。

 

 

仕事柄、交友関係が広い和田誠さんは、多くの著名人を家に招いていました。

そのとき、料理上手の奥様である平野レミさんがふるまう手料理が関係者の間で話題になります。

結婚後、いったんは芸能界から退いた平野レミさんですが、美味いと評判の手料理がきっかけに料理愛好家として表舞台に再び登場することになりました。

 

80歳をこえた和田誠さんが今でも新たな作品を生み続けられるのは、「生きる放送事故」という異名を持つ平野レミさんがいるからでしょう!

 

 

TRICERATOPS和田唱の母親は平野レミ

和田唱さんの母親は料理愛好家でシャンソン歌手の平野レミさんです。

 

  • 本名:和田レミ
  • 生年月日:1947年3月21日
  • 出身地:東京都台東区
  • 血液型:O型
  • 職業:料理愛好家、シャンソン歌手

平野レミさんは父の平野威馬雄さんの教育方針からノビノビと育てられたようです。

叱れば内緒でやるようになると、幼少のレミさんが万引きをした時は、わかんないようにやるようにと注意しただけだったんだそうです。

同じ理由でカンニングもどんどんさせていたんだとか。

 

明るい性格で会話好きだった平野威馬雄さんの自宅には、威馬雄さんを慕うフランス人がたくさん訪れていたそうです。

歌を歌うことが好きだったレミさんは、威馬雄さんのリクエストで覚えたてのフランス語で皆の前で歌を歌うようになったのだとか。

東京都立上野高等学校中退後、文化学院在学中に佐藤美子さんにシャンソンを学び、日航ミュージックサロンで歌手デビュー

 

TBSラジオ番組「キンキン・ケンケンのそれ行け歌謡曲」内のコーナー「ミュージック・キャラバン」で、久米宏とコンビを組み活躍。

TBSラジオがきっかけで1972年和田誠さんと結婚します。

結婚後は育児・主婦業に専念していましたが、両親の影響で家庭料理の研究に力を入れ、料理愛好家として再び表舞台で活躍することに。

 

料理番組に初出演したのはNHKの「きょうの料理」だったのだとか。

現在は、料理番組を中心に活躍中のレミさん。

終始テンションが高く、息つく間もないほどの早口で話すのが特徴です。

 

「きょうの料理」でNHKの後藤繁榮アナとの掛け合いは名物ですよね!

自由奔放な立ち振る舞いと奇想天外な料理のアイディアから、一部のファンからは「生きる放送事故」とあだ名がついたほどです(笑)。

 

昔はさー、料理愛好家って言葉がなくて、み~んな研究家になってたの。

でもさ、料理は別に研究なんかするもんじゃなくてさ、歌いながらね、作ってゴックンして美味しければ幸せってもんだから、料理愛好家でいきたいって言ったのよ。

家庭愛好家でも、夫愛好家でもあるしね

レミさんが自分に料理愛好家という名前をつけた理由だそうです。

美味しいもの食べると幸せというのは、いかにもレミさんらしい考え方ですね。

料理の素人だったレミさんが料理愛好家になれたのも、夫・和田誠さんの為に一生懸命料理をして腕を磨いたからだそうです。

 

平野さん料理好きが高じて、企業と共同開発で多機能鍋平野レミの鍋 ドゥ! レミ・パン(レミパン)という鍋まで開発してしまいました。

レミパンは、炒める 焼く 煮る 蒸す 揚げる 炊く を1台でこなすオールインワン性能を持っていて、今までに250万個以上売れたそうです。

レミパンできるまでに高級車3台分くらいの制作費がかかったらしいのですよ…!?

 

2016年3月15日に今までのレミパンに便利な機能をプラスした、remy pan +(レミパンプラス)が発売されています。

レミさん、意外にやり手ですね(笑)。

 

ちなみにレミパンは新潟県の三条市の調理器具メーカで製造されています。

 

和田唱と平野レミが対談!

2013年年6月8日の毎日新聞「親子インタビュー」で和田唱さんは母の平野レミさんと対談をしています。

 

和田唱、平野レミと和田誠の両親のことを隠してたもんな。

隠してたっていうか、積極的には言ってなかった。

あの、お喋りなレミにも、言わないようにと口止めしてたとか。

周知の事実だというのに、和田唱さんが自分の母がレミさんだということを頑なに隠していたので、これにはファンもビックリでした!

名前を出さないまでも、和田誠さんのことは度々話題にしていたのに(笑)。

 

筆者は8年前に誠さんに親子対談を申し込んだものの、断られたことがある。

唱さんも「8年前だとまだダメでしたね」と振り返る。

実は2005年にも両者の対談をオファーしたそうですが、その時はまだ”時期”ではなったようなのです。

8年越しにやっと実現した二人の親子対談のテーマは「嫌いなことはやることないよ」。

 

有名な両親を持つことに対する重荷も大きかった。

「おまけに、お母さんは授業参観なんかでいつも目立って、音楽の授業でイエーイ!と叫んだりするし…」

21時歳でデビューを果たした。

「やっと俺の時代が来たと思いました。

自分を見てほしい、もう親は関係ない、自分の歌を評価してほしいという思いがすごく強かったんです」

和田唱さんはセンシティブな面があるらしく、特に中学生の時は暗黒時代だったと話しています。

それでなくても、思春期で多感な時に授業参観で目立たれてしまうのはキツイですよ(苦笑)。

 

「俺はさ、どういうふうにしたら両親が喜んでくれるかなみたいな思いが、いつもあるんです」

和田唱さんに今後の抱負を聞いたら、このようにレミさんを喜ばせることを言ったそうですよ。

 

対談時、38歳なので、和田さんも年を重ねて大人になったということですね。

 

和田唱が平野レミと「徹子の部屋」で共演?

2014年11月26日放送の「徹子の部屋」に平野レミさんが出演したそうです。

 

平野レミさんと黒柳徹子さんは家族ぐるみの仲です!

お二人は昔からの知り合いで、和田誠・平野レミ夫妻の自宅によく遊びに来ていたそうです。

そのため、黒柳徹子さんは和田唱さんのことは幼少期から知っているのだとか。

 

徹子「唱ちゃんは何だか有名なんだってね。

TRICERATOPS?バンドの名前が難しくってなかなか言えないんだけど」

レミ「そうなんだって。私全然知らなかったんだけど、SMAPに曲かいたりしてんだって」

――ここでライブ映像が流れる ――

徹子「えー!こんなにお客さん入って随分本式ね!

これに対し「リーダー、作詞作曲、リーダー、ボーカル、しゃべり。みんなやってかわいそうなのー。」とレミさん(笑)。

 

徹子「なんかね、唱ちゃんがVTR出していいって言ってくれたんだって。

それでインタビューにも答えてくれたんだってよ」

レミ「えー!?ほんとに?あの子私が親だって内緒にしてって言ってたのにさー。

まぁ~!38になってやっと大人になったんだわ」

レミさんがお母さんの顔になっています。

徹子の部屋だからこそVTR出演が実現したのでしょうね。

 

「小さいころ、徹子さんにつけてしまったアダ名があります。

それは『レロレロ』という名前で」

「何ででしょうね、レロレロレロレロレロレロという感じがしたんでしょうね」

和田唱さんから徹子さんへ「あと30年くらいは頑張ってほしい」とメッセージ。

徹子さんの嬉しそうな表情!大人になっても「唱ちゃん」のままなんでしょう。

 

最後は徹子さんとレミさんで「一緒にBLITZ行こうよ」と意気投合していました。

 

 

和田唱さんのご両親はイラストレーターの和田誠さんと料理愛好家の平野レミさんです。

どちらも有名人ということで、デビュー後数年は公にすることはありませんでした

しかし、和田さんもアラフォーになり、何がきっかけなのかは分かりませんがメディア出演を解禁にしたようですね。

今度は和田唱さんが徹子の部屋出演し、平野レミさんの話題をしてくれることを期待しています!

歌手
Re童